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11.102017
「矛盾」が分かってないから、情報に感化される
タイトルにした「矛盾が分かっていないから、情報に感化される」これは、片付けが苦手な人だけでなく、どんな人にもある部分だと思います。
私の場合は片付けのサポートが仕事なので、そこから気が付いたのですが。
自分の考える「こう暮らしたい」という思いと、実際の行動がすごく矛盾してるおり、そこに気が付いてない事が多いんです。
で、それに気が付かない為に、世に溢れる様々な情報に感化される、振り回されてしまう。
お客様の家で、サポートをしている際に私は質問を投げかけながら進めます。
その中で、見えてくるのがこの「矛盾」部分。
例えば「モノが多いのが、散らかった環境が嫌」
けれど、セットとして出てくるのは「捨てられない」という言葉。
捨てられないから散らかる、とも限らないのですが、その人の中での「モノの多さ」基準が異常に厳しいと、完全に「捨てられない自分」に視点が注がれます。
解決するためには、「捨てられない自分が捨てられるようになる方法」を調べて、これならと色々実行するのですが、それをしたところで現状が散らかったままだと少しも問題は解決しないどころか、捨てる行為自体に罪悪感がさらに増し、悪循環に陥る人もいます。
「矛盾」してる自分は分かっている。
けれど、解決するための行動がさらに「掛け違い」をしてるせいで、益々混乱します。
現時点で、「捨てられるようになること」は矛盾を取り除く解決方法ではないってことに気が付かないんです。
Twitterを始めたのですが…
突然話しが飛びますが、少し前からTwitterを始めました。
正直、扱い方がまだまだ分からなくて、本当にド初心者です…。
Twitter特有の言葉がまず分からない~。
「エアリプ」って何…?と思い、調べましたよ!
今さらな事を書くかもしれませんが…。
そこは、様々な人が自分のその時の状況を呟いたり、発信したりしてるのですが、
時として議論に持ち込まれたり、いわゆる「炎上」という状況になったりする。
私がフォローしている人、フォローしてくれる人はごく少数なので、本当に狭い範囲ですが、
そのつながった人の、さらにその先の人のつぶやきが、情報として入ったりします。
その中には多くの人へ影響力を持つ人もおり、いわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人や、
プロブロガーと呼ばれる人もTwitterを媒体として自分の考えを発信している。
一番最初に、「矛盾が分かっていないから、情報に感化される」のは片付けが苦手な人だけでなくどんな人にもあると書いたのは、このTwitterを見てより感じたからです。
自分では思いもしていなかった考えを強く発信している人に対して、簡単に感化されてしまう様子や、時には自分の意見のようにその人を崇めたてて、妄信する…。
新たな情報を得る事が悪いのではないし、影響を受ける事が悪いのでもないです。
ただ、Twitterという媒体の中では、自分に落とし込んで考える隙を与えないスピード感は、吉にもなれば凶になる。
そして片付けが苦手な人にある「矛盾の掛け違い」にも似た状況があると感じたのです。
現実感が伴っているのか?
先ほどの片付けの例で言うなら、「捨てられるようになること」は矛盾を取り除く解決方法ではない、と書きました。
自分は「物を捨てられない、捨てるのが苦手」と分かっている人に対し「モノを捨てさせる」事は現実的な解決方法ではないです。
ここでまずステップを踏むのであれば、
「必要なモノが散らからないように収まる生活動線を踏まえた上での仕組み」や、
「捨てられないけれど、不要であると判断したモノを生活空間から取り除いた暮らしの構築」
をする事の方がよほど現実的な一歩です。
その上で、どれだけ捨てられないモノを自分が所持しているかを総量で把握し、今後捨てられないモノが増えないようにするにはどうしたら良いか?を考える事の方が、これからの暮らしの維持に対してよほど現実的です。
「矛盾の掛け違い」が起こってませんか?
Twitterに限らず、SNSすべてに言えることですが、
ネットの向こう側の話しを、現実的に自分に落とし込んで捉える事が出来なければ、流されるだけであり、
その様がまさに片付けが出来ないのは捨てられないからだと言って、自分のイメージする暮らしに近づく現実的なステップとは矛盾した行動をとる様子と酷似してるのです。
もちろん、そんな人ばかりではないし、Twitterはあくまでも日々の呟きだし、そんな重いモノでもないでしょ?と考える人が大半かもしれません。
私も初心者ながら、その時にふと思ったくだらない事を呟いたりします。
けれど、ハッとさせられるような文章を読んだ時に、それを単純にすごい、だけで終わるのか、
またはなぜそれがすごいと感じたかを思い返すのかでは、自分への落とし込み方、納得の仕方、
こう書かれて共感する部分はあるけど、今の自分はこうだから、もし参考にするのならばこの部分だ、
と理路整然と、時として考えられるかどうか?
それが、この情報が溢れる社会で私たちに必要な能力だと感じるのです。
そしてその能力に必要な土台とは、どんな事でも今の自分の現実、暮らし、生活を把握し、落とし込んで考える事が出来るかどうか、ではないでしょうか。
飛躍した解決方法は、他人の考えにマウンティングするのと同じ。
少しも自分の問題は解決できない、少しも自分の腹の底からの意見ではない。
日々目に入る、耳に入る情報と自分との距離感を明確に持つには、現実の自分をどれだけ把握できているのかが重要ではないかと私は思うのです。
こちらは私の、整理収納と夫婦関係家族関係など様々な事を合わせて書く理由です。合わせてお読み頂けると嬉しいです。
【夫婦生活の悩みは暮らしの一部だからこそ、私が整理収納で解決します。】