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10.62017
お母さん、一緒にデパートへ洋服を買いに行こう
朝晩の涼しさを感じるようになった今日この頃。
そろそろ衣替えしてもいいかも、と思い始めた方は多いのではないでしょうか?
かくいう私も、週末を利用して衣替えを致しました。
自宅の衣替えした翌日に、たまたま実家へ届け物があったので行ってみると、両親2人が踏み台を椅子代わりに衣替えの真っ最中でした。
うーん、親子ってこんなタイミングも似たりするのね?
なんせ整理収納アドバイザーが実の娘なので(笑)ノリノリで手伝ってまいりました。
父も途中までは一緒でしたが、結局女2人で話しに花を咲かせながら作業。
この時の、母の言葉が脳裏から離れません。
「もう、こんなに服もいらないのに、買っちゃうのよね」
服を買うのに、年齢は関係ありません。
洋服を買うことがムダ使いと思うの?
高齢だから、これ以上新しい服を買う必要はない?
違います、絶対に違う!!!
あなたの親が、たくさん服を持ってるのに、また新しい服を買っていたら、あなたはなんて言いますか?
「そんなに持ってるんだかり買う必要ないでしょ!」と言いますか?
どちらも違うんです。その思考、言動は、親もあなたもズレています。
今日は、親の衣替えの手伝いから見えた、親の物の持ち方買い方、その理由と背景、
そこから見えた母の悩みと、今の私に出来ることを書きたいと思います。
オシャレを楽しむのに、年齢は関係ない
私の母は、服が好きな人です。
若い頃、洋裁を習っていたこともあり、子供時分は母お手製の服を姉とお揃いで着ていたこともあります。
父の服の見立ても母。
中学時代、母の選んだマスタード色のシャツを着て授業参観に来ていた父は、友人の間でも「オシャレなお父さんだよね!」と評判になったこともありました。
すべて母の手腕!
服好きの母ですが、今回の衣替えでも、既に服の見直しを以前私と一緒にしているので、自分なりの判断基準を持って取り組んでいました。
同年代の方と比べると、母の判断の速さは比べ物にならないと思います。
それぐらい、自分と服について把握してるのです。
そして、それが例えリハビリへ行く時だったとしても、機能だけではなく、色や柄、デザイン、季節感を考えて服の組み合わせをしています。
母は、7年前に完治しない病となり、そのために体型も変化し、これまで着ていた服はほとんど着れなくなりました。
本人は、直接的な表現していませんが、ショック以外の何者でもなかったと思います。
アクティブで、どこでも1人で出掛けていた母にとって、1人で出かけることが困難な状況、
さらには体型の変化で着ていた服が着れない自分は、これまでの暮らしと180度変わってしまったのですから。
初めて実家の片付けをした時、服を見直している母の様子は、娘ながら、というか同じ女性としてとても辛そうに感じました。
それでも母は、着やすさ重視となっても、色や柄、デザインなど、
今の自分が好きと思える服を買い直して、その時々のオシャレを楽しんでいます。
そう、娘の私の目には写っていました。
けれど違ったんです。
それが先の言葉です。
「もう、こんなに服もいらないのに、買っちゃうのよね〜」
違う、そうじゃない、年齢なんて関係ない、オシャレな服、好きな服ならば買っていい。
どうしても、母の前だと子供の自分に返ってしまいます。
お母さん、そんなこと言わないで。
死を見据えてオシャレをやめないで。
いつまでも、あなたらしくいて。
母と一緒にデパートへ買い物に行こうと決めた理由
今の母にとっての悩みは、自分の足でお店に行き、試着をして買い物ができないこと。
けれど今は、お店に行くことが難しい。
父に頼むこともできるのですが、やはりゆっくり選びたくても気を使ってしまう。
本当は、デパートに行って、洗練された自分好みの服を見たい。
今の母は、近所のスーパーの衣料品コーナーや、どこにでもあるユニクロなどで買うか、または通販で服を選ぶことがほとんどになりました。
先にも書いてますが、母は服が好きです。
好みは私とは違うけれど、センスやバランス感覚も良くてオシャレな人です。
病気のせいで変化した体型を少しでもカバーでき、かつ自分好みの服を本当は手にとってゆっくり吟味して選びたい。
それが出来ないため、サイズ感や手触りが分からない通販で、まるで宝くじのように買うしかないのです。
合う服もあれば、同じサイズ表記でも大きすぎたり、丈が長かったりとハズレも多い。
スーパーの衣料品コーナーの服や、ユニクロが悪いわけではありません。
けれど、次はいつ来れるか?と思うと、買わなくてはいけない心理に陥る。
それらは積もり積もって、収納を占拠し始めてしまう。
着ない、着れない服を持つ自分への嫌悪感と罪悪感。
出掛ける先も限定されている自分の体の不自由さ。
今回の衣替えは、長時間かかったわけではありません。
母の言葉を聞きながら、母が物、服を通して何を考え、何に悩み、何を迷っているのか。
そして、娘の私にできる、今の母が1番笑顔になれる方法は?
私が出した提案は
お母さん、一緒にデパートへ洋服を買いに行こう。
素敵な服を探しに行こう。
自分の手でさわって、確かめて、試着しに行こう。
一緒に衣替えしたから、分かること
今回のことで、
「衣替え作業が、身体に負担がかからないように」
とか
「いかに現段階で両親が快適に毎日を暮らしていけるか」
ということも、もちろん大切ではありました。
それが、私が手伝いを勝手出た理由であり、目的でもあります。
けれど、一緒に服に夏服を引き出しから出し、そして長袖などの秋冬服に入れ替える作業の中で、
私自身が考えもしなかった、いえ、考えたくなかった「母の服への思い」が見えました。
「安いからたくさん買う」
「もったいないから着ていないけど捨てない」
「いつか着るかもしれない」
物が捨てられずにいる人、また物が捨てられない親を持つ子供も、思い浮かぶのはこのような理由でしょう、
でもこれは、表面上浮かび上がってるだけの理由であり、ただの想像です。
安いだけで沢山買ってしまう理由。
もったいないから着てないけど捨てられない、その背景。
いつか着るかもしれない、と考えるその思いの根元。
なぜその状況であるかを、あなたは自分の物差しだけで見ていないでしょうか。
それと、ここがとても大事なのですが、当の親本人が沢山溢れるほど同じ物を持っていることに気が付いてない場合もあります。
知るべきは、捨てられない理由の、その先。それを選んだ基準、理由。
同じことのようで、実は違います。
選ぶ基準の向こう側にあるものは
暮らし方も、快適さも、楽しさも、そして命の年数も、人それぞれです。
私が年齢に関係なくお客様に伝えるのは「今を基準にすること」です。
もちろん、時に先を見据えることは大事です。
いわゆる「終活」は自分の終わりを見据えた活動です。
しかし、今を快適に出来ていないのに、自分の過去の物と、そしてこれからの物を見渡して、
必要か?不要か?そんな判断をすることはできるのでしょうか?
私は出来ないと断言します。
今を我慢して、人生の終わりを考えるなんて、そんなのおかしい。
今を我慢しなくてはいけない理由が、使いもしないのに残してる物や、着もしないのにタンスに入れてる服のせいならば、
選ぶ基準を「今」にすることで、それらと向き合うことができ、初めて「これから」を自分の手で作れるのです。
だからこそ、今の母のために私が出来ることは、
一緒に母が本当に気にいる服を見つけるために、デパートへ行くこと
着ない服をタンスから見つけるのではなく、着たい服を母の手で見つけるサポートをすること。
そうすることが、母の気持ちの中にある「選ぶ基準」が変わるわけではありませんが…
それでも。
ほんの少しでも。
服の好きな母が、気持ち良く、心地良く、着たら笑顔になるような服を見つけるサポートをしたいのです。
それが、母の今の悩みを解決する1番の方法であり、
「今」を基準とした自分の物を選ぶ基準、暮らしを諦めない、その支えとなるからです。
物の見直しを促進させ、暮らし方の提案をする整理収納アドバイザーが、
新たに購入を勧めるなんておかしいと思う人もいるかもしれません。
沢山服があるのに、まだ買うのか?
いいんです、それが今の母の本当の悩みや悲しみを解決できて、楽しく、生き生きとさせるなら!
自分の手で選び、納得して、なにより母を明るくする服があることで、出番の終わった服を
「もう、こんなにいらないのよね」と死を見据えて諦めた気持ちで手放すのではない、手放し方ができるはずだから。
両親の衣替えからの今回の話し、万人に共通する話ではありません。
あくまでも私達親子の話しです。
けれどもし、あなたが親の家、暮らしが気になっているならば、少しでもあなたにとっての何かを届けることできたなら嬉しく思います。
こちらは私の、整理収納と夫婦関係家族関係など様々な事を合わせて書く理由です。合わせてお読み頂けると嬉しいです。
【夫婦生活の悩みは暮らしの一部だからこそ、私が整理収納で解決します。】